掲載日 2010年3月1日
私の撮った鉄道写真
旅の記録 「カッパドキアとイスタンブール」 No.1

成田出発からカッパドキア1日目
2009年11月13日〜14日 戻る
トルコ旅行
 2009年11月13日から20日まで夫婦でトルコのカッパドキアとイスタンブールに旅しました。
 カッパドキアは2日間ガイド付きツアーで周り、イスタンブールでは半日だけガイドを付け、あとの3日半はフリーにして
気ままに街を歩いて、モスクなどの市内観光とトラムの撮影で過ごしました。

 イスタンブールで撮影した鉄道の写真は「海外で撮った鉄道写真」にアップしています。

1 イスタンブールのアタテュルク空港での国内線乗り換え時間は予定では約2時間なのに成田出発は1時間30分遅れ。
アタテュルク空港の乗り換え時間は30分しかなく、飛行機を降りる時に分かった同じ便に乗る日本人2組4人と一緒に6人で空港内を走って乗換えました。
一緒になった日本人4人とはカイセリ空港で別れ別れになり、6人が再会したは帰りのアタテュルク空港でした。

成田空港の出発は1時間5分遅れが
1時間30分遅れに拡大



深夜のカイセリ空港に到着
機材(飛行機)はB737-800
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3 出迎え用の名前札の上下を間違えて待っていた大柄で髭のあるガイドさんと運転手さんを今ひとつ信用できないまま午前0時に出発。
車に乗った客は我々二人だけで車内は真っ暗。しかも人通りはまったくない暗い道を走るので、ヒヤヒヤの思いで乗っていました。
ギョレメ村のホテルに着いたのは午前1時頃、チェックインを翌日回しにして部屋へ直行しました。

この入口は結構いい雰囲気でした
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後ろの岩も含めて全部がホテルです
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5 ホテルマンがドアを開けられずフロントに戻って出直して来てやっと部屋に入れたので、心配になりドアを開けようとしたら取っ手が外れてフリーになってしまい二人で大騒ぎ。
30分以上いろいろやってみて、引っかかる位置を見つけて開け閉めが出来るようになってから就寝。
2泊したのに最後まで直りませんでした。
フロントからは外階段で部屋へ

入口の木製ドアとキッチン

7 洞窟に泊まりたくて別料金を払って泊まったCAVE SUIT ホテル。
部屋は洞窟のようで、壁は手彫り風。
部屋の一部が岩の中なのは翌朝になってから部屋の周囲を回って確認しました。


部屋は洞窟風



9 前夜は真っ暗でなにも見えなかったので、朝食前にホテルの敷地内から周囲の景色を確認。
眼下にギョレメ村が広がり、観光用の熱気球も飛んでいました。


ホテルの庭から見たギョレメ村
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左の崖の中はホテルの部屋でした
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11 朝食のレストランも洞窟風、でも食後見て回った限りでは岩の中の部屋ではないようでした。
レストランで会ったのはミラノ周りでここに来たという日本人の新婚旅行の二人だけでした。
(次の日は何人かお客がいました)


遠くに見えるのは観光用の熱気球

ホテルのレストランで朝食

13 昨日と同じガイドさんがホテルに車で迎えに来てくれてカッパドキア観光の1日目開始。

客は我々二人だけ、ガイドさんと運転手さんの四人。 ホテルを9時に出発。
最初はギョレメ パノラマ (ATAY大パノラマ)。
天気は雨模様でしたが遠くまで見えて、アナトリア高原の広さと不思議な景色に圧倒されました。

ギョレメ パノラマ (ATAY大パノラマ)
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ギョレメ パノラマ (ATAY大パノラマ)
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15 次はカイマクル地下都市です。
ここは日本人以外の団体客がたくさん来ていました。
入口近くに土産物屋が軒を連ねていましたが店員が全て男、女性は1人もいませんでした。
ガイドさんの説明では地方では女性は家にいて外には出ない(出さない)からだそうです。
このあともカッパドキアでは女性はほとんど見かけませんでした。 (イスタンブールは別だそうです)

カイマクル地下都市



カイマクル地下都市
奥の穴の開いた丸い石は
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17 ウフララ渓谷はアナトリア高原に出来た裂け目のような深い谷で谷底にはいくつもの洞窟教会がある所です。
ウフララ渓谷はトレッキングの予定でしたが、急に大粒の雨が降ってきたので、急な階段を下りるのは止めたほうが良い、というガイドさんのアドバイスで中止。
代わりに行きたいところは?と聞かれたので、壁画のある洞窟教会を希望したところ、車で谷底のベリスルマ村の洞窟教会へ行くことになりました。

ウフララ渓谷の入口(駐車場)
ここから階段で谷底まで下りるのは中止

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ウフララ渓谷
谷の下には紅葉した木々が見えます
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19 案内してくれたのはベリスルマ村の円柱教会(Direkli Kilise)。
観光地らしいものは入口のプレートだけ、案内板も柵もありませんでした。
持っていたガイドブックにはこの教会は載っていませんでした。
帰国後に調べたら別のガイドブックには柱付き教会という名前で、6本の柱があるので付いた名前だと書いてありましたが、壁画のことは何も書かれていませんでした。

道路から見上げた円柱教会(Direkli Kilise)
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プレートがあるだけの円柱教会入口
ビザンチン時代の模様が
残っていると説明するガイドさん
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21 洞窟とは思えないほど広く、天井も高くて、フレスコ画の壁画は思っていたよりは良い状態でした。
外は小雨、我々二人とガイドさんだけで他には誰もいない状況で、外からの光線だけで見る洞窟の教会はすばらしいものに思えました。

円柱教会の壁画
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円柱教会の壁画
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23 翌日ギョレメ野外博物館で観光客が大勢いる中で見た、いくつもの洞窟教会のどれよりも、この教会とフレスコ画が印象に残りました。


円柱教会の壁画
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円柱教会の壁画
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25 円柱教会(Direkl killse)を出ると、眼下にはウフララ渓谷の紅葉した木々、荒涼とした火山岩台地、洞窟のある崖面が作り出す奇妙な景色が広がっていました。

円柱教会入口から見たベリスルマ村と乗ってきた車
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ベリスルマ村と洞窟のある崖
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27 円柱教会の少し先でもう一度車を降りて、祈りの洞窟と鳩の巣を見に崖を登りました。
祈りの洞窟はキリスト教の修道士が祈り(修道)のために籠もった洞窟だそうです。
鳩の巣は肥料用に鳩の糞を集めるために洞窟に造った巣箱だそうです。
教会も鳩の巣も崖の上の方にあるのは洪水対策だそうです。

ベリスルマ村の鳩の巣と祈りの洞窟
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ベリスルマ村の鳩の巣と祈りの洞窟
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29 ウフララ渓谷のベリスルマ村にあるレストランで観光コースに付いている昼食。
川沿いの大きなレストランでしたが、観光客らしき人は見当たりませんでした。
小雨のせいもあって気温は低くストーブの周りに人が集まっていました。

ベリスルマ村の祈りの洞窟


ベリスルマ村のレストランで昼食
ストーブを囲んでいる地元の人たち


31 トルコ語で書かれたメニューを見せられましたがもちろん読めず、ガイドさんに説明してもらって5種類のケバブ料理からの2つ選びました。
ビールは別料金でしたが、トルコ航空の機内で味見していたエフェス・ピルセン(Efes Pilsen)を頼みました。
日本のビールに近い味で飲みやすいビールです。

ツアーに付いていた昼食


2種類頼んだケバブ
何をr頼んだかは忘れました


33 ガイドさんが映画スターウォーズのロケ地だと説明したYAPRKHISAR村の見えるところで小休止。
インターネットでYAPRAKHISARを検索すればたくさん記事が見つかるいう話でしたので帰国後"YAPRAKHISAR"でYahoo検索すると75000件程ありました。

YAPRAKHISAR村とテーブルマウンテン
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YAPRAKHISAR村の看板
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35 ここが一番保存状態が良いと説明があったアーズカラハン隊商宿。 でも工事中で中に入れず、小雨のなか傘をさして外側を半周しただけでした。
隊商宿はアナトリア半島がアジアとヨーロッパを結ぶ交易路だった時の商人宿で、前を通っている道はシルクロードだそうです。

アーズカラハン(隊商宿)の正面
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アーズカラハン(隊商宿)の裏側


37 夕陽が名物のローズバレー。
小雨が降ったり止んだりの天気で夕陽は射しませんでした。
夕陽がなくても鉄分を含んだ土質の谷は赤く見えていました。
ここには翌日夕陽の時に行くことになります。

小雨のローズバレー
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小雨のローズバレー
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39 トルコ観光では定番のカーペット工房見学は客は我々二人だけ。
工房の案内人が無料だからと勧めるので、絨毯は買わないと心に決めてからトルココーヒーと水で割ると白く濁るラクというお酒をご馳走になりました。
高価で大きな絨毯を目の前で次々に広げて見せてくれます。
そして最後はお土産用の小さいものが出てきました。
もちろん絨毯は買いませんでした。

絨毯織りの実演


絨毯を目の前で広げて見せてくれます


41 今回のツアーに付いていた唯一の夕食。
パンフレットではカッパドキアの夕陽を見ながらの夕食でしたが、雨のため室内になり窓からも夕陽は見えませんでした。


ホテルでの夕食

ホテルのレストランで夕食

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